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犬本番猫支度

Simple and Clean

実家の時間

何もせずに実家で過ごす時間の流れはとても遅い。同じように何もしなくとも、独り暮らしの部屋で過ごす時間はとても早くて、この違いは何なのだろうなあと思う。

きっと実家で過ごす時間の感覚が特別なんだ。実家には時間感覚を麻痺させるゾーンがあるんだろう。よく思い返してみると、実家から自分の部屋に戻った時に「実家での時間ってあっという間だったなあ」と感じ直していることが多いので、実家で過ごす何もしない時間も、独りで過ごす何もしない時間も、きっとその質は同じで、過ごしている時間に対する感覚が違っているのだ。実家に閉じこもって、予定もなくテレビを見るだけで何もしない一日。そういった時間が尊いものだとはあまり思わない(ただ生命を維持してるだけって感じがする)けど、違った時間感覚が持てる空間があるのは、とてもありがたいことだと思う。実家に帰ったら不思議と腰を据えて読めた本とかあるしね。

ただ実家でそんな緩やかな時間を過ごしている時には、親と顔を合わせる機会はあと何回、あと何日あるのだろうなあと、うっすら考える。大人になって実家を出てから、あまり積極的に実家に戻ることはないけれど、実家に帰る度に必ず考えている。

去年、実家で飼っている犬が危篤状態になった時に一度実家に帰ったのだけれど、犬の様子を見届けてからまた実家を後にする時には「この子と会うことはこれが最後だな」と自覚していた。自覚しながら実家の玄関を開けた。相手の残りの時間に対して、自分が費やせる時間を計算する、ということは日常的に誰もが行っていることだと思うけど、具体的に迫っている誰かの死に背を向ける判断をさせられる体験は数える程しかなかった。それは親しい人達と過ごす時間が限られているという事実を自覚させる出来事だった。限られた時間しかない相手に対して、自分の時間をどれだけ割くのか、その判断には正解がないし、相手に答えを訊くこともできないので、後に尾を引いてしまう。

尾を引くのは自分の中だけの話であり、本当に大事なのは自分の行動に対して相手がどう感じたのか、なんだろうな。でもそれって結局、相手にとった行動に対して自分が納得できるかってことだよな、とも思う。ただその自分の中の納得も、その相手との時間を作って、相手と対話することで得られるのだろうなあ。

相手との関係性を考えて自分の時間を費やしたり(費やさなかったり)、去ってしまった相手を祈る時間はきっと尊い。そう相手のことを考える時間こそが尊いと思う。こんなことを考える余裕があるのも、きっと実家の時間感覚だからだろう。

こんなことを考えているうちに、この文章を書いている場合じゃなくなってきた。家族と夕飯食べてこよう。