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犬本番猫支度

Simple and Clean

作品と気分のピント

梅田に行って映画を観ようと思っていたのに、いざ梅田の駅に降り立ってみるとそんな気分になれなくて、買い物をするだけで帰った。

面白そうだな、必ず劇場で観よう、と思っていた映画でも、すっかりその存在を忘れているうちに劇場での公開が終わっていることがあるし、今日は映画観たい気分だなあ、と突然思い立って映画館の上映リストを調べてそこから全く予備知識がない映画を観ることもある。私の映画に対するスタンスはとてもいい加減で、曖昧な記憶とその時の気分で判断を左右させてしまうことが多い。新作の情報を知って「絶対観よう」とその時に思ったきり、今も存在すら忘れている映画だってきっとあると思う。

映画を観た後に、観て良かった、観逃さなくて良かった、観逃すとかありえん、と思うことはよくある。自分の感覚の大なり小なりは、そういった大切な作品によって形作られているだろうことを想像し、偶然の出会いによって今の自分の感覚が作られていることに怖くなることがある。

じゃあ観逃さないようにちゃんと管理しよう、と一念発起して映画の公開日をメモすることもあった。でも準備してその映画を観ようと出掛けても、気分が乗らなかったり、スケジュールを上手く合わせられなくて観るのを止めてしまい、意志の弱かった自分をその晩布団の中で責めるパターン、よくある。でも気分が乗らないのに無理矢理映画を観てもストーリーが全然頭に入らなかったりするし、一緒に観た人との関係に映画の印象が引きずられたりもするし、映画を正しく受け止めるのは難しいなあと思う。

本でも似たことがある。家には大量の積読本があって、その中には買ってから結局読まないままに手放してしまうものもある。その本を買ったときには読みたい気持ちが全身に溢れていたのに、家に持ち帰ってページをめくってみても、なぜか読む気になれずに本棚の上に積んでしまう。これも気分の問題。お金を払った瞬間が一番気分良くて、そこから気分が下がり続ける現象は結構多くて、本当に困る。私にな。

作品と、自分の中の気分のピントが合うタイミングがあるんだ。それは単純に今の自分の境遇とピッタリの作品に出会った時だけじゃなくて、自分とは全然違う世界に触れて好奇心が刺激されたことだったり、自分の進む先が示唆される瞬間だったり、自分の大切な過去を思い出させてくれる物だったり、何によってピントが合ってくるのかは作品に触れてみないとわからない。でもきっと、作品を受け止められる心の振り幅を持てるタイミングが大切なんだろうなあと思う。

年末年始になると、その一年で自分が好きだった作品を挙げる記事をよく見るようにしている。作品に触れたその人の心がどう動いたのかを書かれている記事が読みたいし、その人のフォーカスやフィルターを通して、作品の息遣いを感じるのが好きだ。何万人が体験した作品だ、売上チャート第一位、なんて大きな数字よりも、誰かの心が動いたことの方が興味深くて、積極的に心のピントを合わせられる余裕ができる。そう思う。

自分の心を動かすような作品に触れたければ、誰かの心を動かした作品を選んだらいい。自分だけじゃ世の中の全ての作品には触れられないんだし、誰かが心を動かされた体験って、私の心にまでそれが突き刺さってくるような感じがして、そもそも好きだ。