犬本番猫支度

Simple and Clean

夢中力と好きのキャパシティ

年々、好きなものにのめり込めない、興味を持てる範囲が狭まっていく感覚があって、それは私の夢中力が減退しているからだろうなあと思った。

夢中力。好きなものに夢中になれる力。没頭して小説を読むとき、DVDをレンタルして映画を見続けるとき、音楽のアルバムを聴き続けるとき、私はこの夢中力を無意識に駆使して作品に没頭し続けられていたんだけど、夢中力が衰えている今の私はなかなか作品に没頭できなくなっていて、スタートしてから数ページや数分で止めてしまったきりになることが、よくある。好きだったアーティストの新しいPVをYoutubeで観る、その数分すら集中できないこともあるから、時間が原因ではなさそうだった。好きになりたいのに集中できない! その一方で私はゲーム配信の動画を飽きずに見続けていたりすることもあって、私は私がもう信用できなくなっていた。

今までの私の好みからすると絶対に好きなはずの作品に没頭できない、そんな時の私への失望感ったらないよ。なぜ好きになれないのだろう。なぜ好きな気持ちが褪せてしまっているのだろう。好きになるにはパワーが必要で、私はそのパワーを生み出すことがだんだん難しくなってきているのかもしれないな、これが年齢を重ねるってことなのかな、と思ったけれど、新しく好きになるものは今でも沢山あるし、きっと私の好きになるパワーは残っている。

何が原因なのだろうと私の行動をよく思い返して見ると、私には好きになりたいものが多過ぎるのだった。世の中は大なり小なりのレコメンドに埋め尽くされていて、その多くが私にとっても面白そうと思えるもので、私はそういったものを全て好きになろうしていて夢中力が息切れしていた。私が好きになれるものはきっと世界中に沢山あるけれど、私にはその全てを受け入れられるキャパシティが残念なことに無い。私が本当に好きになれる大事なもののために、私は好きになるものを取捨選択する必要があったのだ。

好きになりそうなものを諦めるのは辛い。好きになりそうなものの揚げ足を取って無理矢理好きじゃないものとしていくような、好きになりそうだった好奇心にほおかむりをさせてしまうような感覚があって、悲しい。それでも、好きだったものにお別れしていくと、部屋は結構広くなって、また好きなものを迎え入れられるような気がして、少し気が新たになったのだった。