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犬本番猫支度

Simple and Clean

比喩の赤裸々さ

何かを説明するときに比喩が使われることはよくあるけれど、比喩によって説明したかった部分とは別の部分に着目されてしまって、間違った理解をされてしまうことはよくある。比喩するために持ち出した対象が元の何かを完全に説明できることなんてほぼないので、比喩によって何を説明したかったのかとか、比喩で掴んでもらえた概要をもう少しちゃんと説明したりとか、その比喩についても説明が必要だと思うんだけど、比喩によって一度「理解した」モードになってしまった相手に、そんな追加の説明はまるで響くことがないのだった。

あとなぜか、相手も別の比喩を持ち出してきて比喩合戦になってしまったりする。「それって○○ってことだよね」「つまり△△ってこと?」とお互いに言い合う比喩合戦を(なぜか)しているうちに、本当に伝えたかった何かがおざなりになってしまう。一言で説明できない何かを伝えたいときにはつい比喩に頼りがちだけれど、正しい理解に繋がらないことが多いような気がしていて、私はなるべく比喩は使わないようにしていた。

でもそもそも、何かを説明するときに自分の言葉では上手く表現できない現象だって、比喩の失敗なんじゃないのか。「何か」を「言葉」で比喩しようとして、上手く言葉で比喩ができていないから相手に伝わらないのだ。言葉の数以上に、言葉を掛け合わせて生まれるパターン以上に、伝えたい何かの種類はあるし、そもそも言葉が持つ意味だって人によって異なる。言葉がまずはコミュニケーションのツールである以上、相手に全く伝わらない言葉は選べないから、自分の語彙を増やすだけで改善する問題でもない。自分の伝えたいことが一言なんかで表現できるわけがない、と思う気持ちで言葉を積み上げていくことはあるけれども、言葉を費やしても伝えたいことは濁っていくばかりだった。自分の伝えたいことはシンプルに表現できた方がいいに決まっていて、そういった語彙の一つとして比喩を選ぶのは、伝えたい気持ちに対する真摯な手段の一つだったのだ。

比喩は誤解を生むことがあるけれど、その誤解される可能性すら任せてもいいと思えてしまうことがある。風景を眺めていて「この風景って宇多田ヒカルみたいだな」と心動かされ、その感動を誰かに伝えたくなったとき、風景を細かに説明して感動を伝えるよりも「宇多田ヒカルみたいだなと思った」と伝える方が、そのときの自分の感情を正しく表現できる。それが相手に正しく伝わらなくても、これからあらゆることを正しく表現していくことで、正しく伝わる瞬間がきっと生まれる。伝えようとすることを続ける限りは。シンプルな比喩に気持ちを託すことは、「正しく比喩を受けて止めて欲しい」との相手への想いに基づいていたり、「私が口にした比喩だから正しく分かって貰えるだろう」という私の自信に基づいていたり、お互いの関係性に賭けているところがあって、ちょっと赤裸々だ。

なので仕事ではやっぱり比喩は使わないし、使うとしても比喩で誤解される部分はきっちりフォローするよ。世の中にはTPOがあります。