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犬本番猫支度

Simple and Clean

昔の私の記憶

昔の自分のことをうまく思い出せなくなっていた。

過去の自分にとって大きなショックを与えたはずの事件は「出来事」としては思い出せるけど、そのときに感じた私の気持ちまで鮮明に思い出すことは難しい。「あのときは楽しかったな、その後に悲しいこともあったけど今となっては懐かしい思い出の一つだ」と、思い出してみる当時の感情は一言にデフォルメされてしまっているけれど、多分当時の私はそんな単純な気持ちだけを抱えていたんじゃない、という確信も同時にある。

今の学生に対して「私の頃は○○だった」と諭すようなことが私にはできなくて、それは学生の頃の私の気持ちを追憶することができないからだった。当時の私が何をしていたのか、何ができなかったのかは覚えているけれど、そういった行動をとる時に自分が何を感じていたのかを正確に思い出すことができない。想像してみることはできるんだけど、そのアプローチはまるで他人の気持ちを推し量っているかのようだった。私のことなのに。

それでも、私のルーツをたどろうとすると、私が昔抱いていた感情を掘り起こしてしまうことはある。今の私の行動原理は、過去の多くの反省や少しの楽しい経験から成り立っている。なので自問自答している時に突然、過去の反省や経験と合わせて昔の自分の感情が断片的にあふれ出てくることはあった。そういった私の昔の感情は、現実とよく向き合って四苦八苦していた上でのものが多いので、「私の頃は○○だった」と過去の自分に諭されたような気分になったりする。過去に葛藤した経験ほど今の自分を勇気づけてくれるものはない。だって私のことだから。

昔の自分がそのときに考えていたことを日記に都度記録してくれていたらなあと思う。それってきっと黒歴史だし、今の私が想像しているよりもずっと汚い内容が記録されたに違いないんだけど、平穏な日々を送っただけの自分よりはきっと愛することができると思う。

未来の自分がこう考えることが分かっていたなら、過去の自分もきっと日記を書いたと思うんだけどなあ。いやでも、もし昔の自分の日記が存在したなら「私の頃は○○だった」と年下を諭すような、過去の自分の経験を全て恥ずかしい黒歴史だと切り捨てる人間になっているかもしれないのか。そうなるのなら昔の自分を忘れてしまっていて、そのせいか少し過去に親近感を持てている今の状態が一番いいのかもしれない。