犬本番猫支度

Simple and Clean

今年も雪が降る

目が覚める度に寒さが増している実感があって、冬に対する敵意が毎日高まっていたのに、寒くなり過ぎて雪が積もると一気に興奮が勝ってしまうので雪の魅力はすごい。寒くて家から一歩も出たくないと思っていたはずなのに、雪が降った途端に、外に出なきゃ! 普段の風景の変わり様を拝んでやる! という気持ちにさせられてしまった。雪が一大イベントだという気持ちは昔も今も私の中では変わらない。

神戸に住んでいたころ、雪は一年に一回積もるか積もらないか程度の頻度でしかなかったから、私の雪の記憶は少ないし貴重だ。小学生のときに「雪は積もった翌日にはほぼ消えてしまうし、そもそも雪は毎年積もらない」ことに衝撃を受けてしまってから、雪の記憶は私の中の特別なフォルダに保管されるようになっていた。クリスマスのような毎年必ず訪れるイベントの記憶よりも、突発的に発生する雪の記憶の方が印象深くなってしまったおかげで、私には子供のころからの雪の記憶が残っているし、雪が降るたびにその記憶を思い出してしまう。誰かと雪を楽しんだ記憶より、一人で雪が降るのをただ眺めていた記憶の方が多いけれど、その雪が降っていた光景は覚えているし、その光景を見ながら私が何を考えていたかも思い出すことができる。

無心に雪を眺めることが私にはできなかった。私は雪を眺めるたびに過去の雪の記憶を思い出し、その記憶を今の自分と結び付けていた。私が雪を眺めるときには、春からの生活のことを考えることが多かった。冬に努力したり準備していることが春には形になっていたらいいなと思ったり、去年上手くいかなかったことが春からはちゃんとできたらいいなと思ったり、自分の将来のことを願うように考えることが多かった。移動中の朝や夜に眺める雪は非日常的に輝いていて私をポジティブな雰囲気に包んでくれるから、不安に感じていた自分の将来のことを考える心の余裕ができたんだろう。きっと。

過去の雪の日に願っていたことを思い出すのは、その願いが形になったかどうかにかかわらず気分を穏やかにさせてくれる。何かを願い続けていた過去の自分の延長線上に今の自分がいるということが、私の気持ちを現実に繋ぎ止めるし、縛りもする。積もった雪を見て何も知らずに笑うばかりだった子供のころの自分と、今の自分が繋がっていることが実感として私の中にある。これが自分の原点だと意識できるものがあることは、何よりも安心できることだった。

雪が降る光景に心動かされる気持ちがずっと変わらないのは、雪が降ること自体が珍しい地域にずっと住んでいたからだろうな。雪国に生まれていたら雪が降るたびに心動かされることはないだろうし、(実は神戸も北の方だとよく雪が降るんだけど)雪がよく降る地域で生まれ育っていたならまた私は別の降雪観? を持っただろう。神戸に育てられてるな私。