読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

犬本番猫支度

Simple and Clean

震災と復興の記憶

震災から二十二年経った。二十二年も経つと出来事としては風化してしまうし、世間の話題に上がることも少なくなっていく。この二十二年間、新たな自然災害が発生してしまうたびに、阪神淡路大震災は過去のものになっていく感覚があった。世間的には阪神淡路大震災は過去に多く発生した災害の一つであるだけなので、きっと当然のことなんだろう。災害から得るべき教訓の多くは、他の災害からでも得ることができるし、世間一般としてはより最近の災害の方が強い実感が得られる。当事者でない場合ね。

関西では阪神淡路大震災のことを覚えている人は多いし、一月十七日になると口々に当時の思い出を共有することはあったけれど、二十二年も経つと新たに共有できることもなくなる。それでも、私は個人的に誰かに震災のことを話すことはあるし、震災のことを忘れてしまったわけではない。個人的な記憶として共有される出来事になりつつあるのだと思う。

私は当時神戸市に住んでいたので、阪神淡路大震災の被災者であると言えるけれど、個人的に大被害を受けたわけじゃなかった。だから私は震災の出来事や教訓を誰かに伝えたいと強く思うことはなかった。出来事を広く語るにはもっと適切な誰かがすぐ周りにいたからだ。私にとっての阪神淡路大震災はとても個人的なものとして心にしまわれている。授業で習うような遠い出来事のように思っていた大災害が自身に降りかかることがある事実だったり、何千人もの犠牲者が出た震災でたまたま自分が死ななかったという偶然だったりは、その後の私の感覚を大きく変えたけれど、それは積極的に誰かに共有したい話ではなかったし、話をしたとしても共感を得られるような話ではないと思っていた。

それに二十二年。私にとって震災前の神戸より震災後の神戸の時間の方が長くなってしまった今、私の震災の記憶の多くは復興の記憶だった。全壊した駅や商店街が新造されるような街の変化にときめいたり、区画整理の容赦無さにジレンマを感じたり、復興の速度に地域差があることにやきもきしたり、阪神淡路大震災についての私の感情の揺れは復興に対するものが多かった。復興する街を眺めながら「がんばれ神戸」と思うことが多かったけれど、地域に対してがんばれと思う感覚は面白いなと改めて思う。神戸に対してがんばれと思うようになったのは震災以後からで、神戸という括りを意識し、神戸に対する愛着が強まったのは震災があったからだった。

神戸から離れた街に住むようになった今でも、神戸の街が変わっていくことには敏感だし、興味のある新たな施設ができたら足を運ぶし、変わっていくことと変わらないことがあることを想う。私の中では今でも神戸が変化していることは震災からの復興と繋がっていて、だからがんばれ神戸と今でも思っているし、その気持ちの原点となっている阪神淡路大震災を忘れることはない。