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犬本番猫支度

Simple and Clean

タイトルだけ知ってる作品

タイトルは知ってるけど中身を体験していない作品は多くあるし、しかも年々その数は増えていて、多分そういった作品の多くを私は一生体験できない。

好きな作品のルーツを辿ったりフォロワーを追ったりしていると、知っておくべきとされるタイトルがどんどん私の中にストックされていく。そうして新たに知った作品を体験し続けることで、好きな作品の幅を広げて深められるのが理想だけど、作品を体験する速度が追いつかなかったり、体験してみてもピンとこなくて途中で止めてしまうことがある。年末になると一年の総括をするベスト作品が選出されて、私がまだ体験できていない多くの作品の存在をそのときにおさらいできるけれども、そんな作品の多くは結局体験する時間がとれずに「○年に世間の評価が高かった作品」としてタイトルが私の記憶の中にしまい込まれる。こうしてタイトルだけ知っている作品は増えていく。

多くの作品を体験していることは、その作品に繋がっている他の作品を好きになるきっかけが増えることなので、多くの作品を体験した方がいいことは間違いないと私は思う。それでも、まだ体験していないタイトルの数は途方もない多さだから、私は体験することを諦めてしまいそうになる。

あるジャンルについての「おすすめの作品」を訊かれたときに戸惑ってしまうのは、自分がそのジャンルの作品を網羅して体験できていない自覚があるし、自分がお勧めした作品を相手が好きになる保証なんてないからだった。絶対的な価値を持つとされる作品はどんなジャンルにおいても存在するけれど、その作品ですら誰もが気に入ってくれるとは限らない。私が勧めたことで、相手はその作品を体験しポジティブな感想を私に伝えてくれるかもしれないけれども、それはコミュニケーションとしてそうしてくれただけであって、相手にとっては単なる時間の無駄になったのかもしれないのだった。もしかすると相手は単に私が好きな作品を知って共感したかったのかもしれないけれど、好きな作品を通して相手が私のことを知ろうとするアプローチに私は慣れていなかったし、作品を通して自分が理解されようとしていることに怖さも感じていた。

作品の価値が人によって異なることは、当然のことなのになかなか理解されない。相手も自分と同じ作品を好きであって欲しい、そうあるべきだ、という気持ちが前提にあるから、自分が好きになったものを相手が好きになってくれないことで衝突してしまうことがあるんだろう。自分が好きな作品を相手が嫌いでも、そのことで話を続けられるのが友達だったりそれ以上の関係だろうと思うけど、相手のことをあまり知らない状態だと、それが関係を壊す決定打になる可能性もあるから本心で好き嫌いを共有することは難しい。自己紹介で趣味を共有することのもどかしさよ!

でも逆に、誰かが私に教えてくれた「おすすめの作品」が、私にとってタイトルだけ知っている作品だった場合、体験するきっかけをくれてありがとう! と私は思うので、きっと私は余計なことを考え過ぎているんだろう。「タイトルだけ知っている作品」の多くは結局「体験しなかった作品」になってしまうし、お勧めした作品を体験することが相手にとって無駄な時間になったとしても、体験しなかったよりはいい結果なんだろうと思う。おすすめは押しつけるくらいで丁度いい。そう信じておく。