犬本番猫支度

Simple and Clean

憎しみへの愛着のなさ

愛情と憎しみが紙一重とは全く思えない。本当に紙一重だったら愛情があった対象を憎んでしまうときにあんなにエネルギーを使うわけがない。あと紙一重だったら憎しみが愛情に変わることがあってもいいだろ。

愛情と違って憎しみは何にもならなくて、ただ冷めるのを待つしかないので本当に無駄だと思う。私はどんな感情も大事にしていきたいと思っているけど、憎しみは感情として面白くないから反射的に捨てようとしてしまう。一晩寝たら自分の中の理性があらかた憎しみを消化してしまうから、最近は私の中に憎しみが持続することがない。憎しみを抱くくらいなら、やり場のない愛情を抱えて沈没する方がましだ。こう思うのはきっと、過去に感じた憎しみをコントロールできるくらいの理性を保てるようになったからなんだろうな。学生のときに一生分の憎しみストックを放出して、その感情の不毛さを理解してしまったからかもしれない。

憎しみには、その憎む対象への期待が混ざっている。相手を憎むためには、その相手に憎む価値があると考えている前提があると思うけど、私は対象への期待を捨ててしまえるからきっと憎しみが持続しないんだろうな。自分を憎しみの強い感情に支配させたくないって気持ちがまずあるし、他人からネガティブな感情を受け取りたくないと思い続けている影響もあるんだろう。働いているときに、私が他人に対してあまり腹を立てなくて驚かれることがあるけど、他人に対して冷たい発言をすることで驚かれることもある。私は他人に興味がないわけじゃないけど、他人の嫌な部分から目を背けてしまいがちなのは確かだと思う。

私が憎み続けられないのは、私の中で感情が不器用になっているのかもしれないな、と思った。もし他人によって肉親に危害を加えられても、その他人への憎しみが持続しないのかな、と最悪のケースを想像してみるけど、これは実際にそうなってみないとわからない。その肉親に敵を討って欲しいなんて言われたら、憎悪の鬼になりそうだ。どうしようもなく誰かを憎んでいる人の気持ちも、憎しみの大きさが過去の愛情の証明になるような感覚も、私は理解できないわけじゃないし、憎しみが無駄だなんてその人達には言えない。きっと人それぞれ、抱くことができる感情の種類や配分が違うし、それはその人の歴史によるものなんだろう。その歴史は尊重すべきだし、もし抱けない感情があったとしてもそれは性格だと思いたいな。