犬本番猫支度

Simple and Clean

気付けなかった一瞬

昔住んでいた場所を紹介する記事を読むと、その場所の魅力に気付けていなかったことを思い知らされて楽しい。きっと記事に掲載されている写真に説得力があるんだろうな、と思う。何度も同じ風景を見ていたはずなのに、その写真に切り取られた一瞬を私は気付くことができなかった。その場所で私は色々な時間を過ごしたはずなのに、その写真の瞬間に勝る魅力を感じることができなかった。

写真よりも動画の方が情報が多いと思ってしまうから、動画があれば写真は要らないとつい思ってしまいがちになるけど、写真だからこそわからされてしまう魅力というものは確実にある。その表情だったり、光だったり、鮮明さだったり、似たようなものを肉眼で見ていたはずなのに、私にはその瞬間を切り取ることができなかったのだ。

世の中にある写真全てにこんな魅力を抱けるわけではないから、写真を撮ることは才能なのだろうなと思う。自分で写真を撮っても、動画を一時停止させたような画が残っているだけで「保存した」という意味以上のものをそこに見出せることはない。自分の視界を保存しておくことには意味があると私は思うけど、私が撮った写真が知らない誰かにとって特別なものになることはきっとない。

たまにそれっぽい写真が撮れてしまうことはあるけど、それは宝くじで五等がたまたま当ったようなものなんだ。もし何百万回とシャッターを切ることができたら、私も誰かに評価されるような一枚を撮ることができるのかもしれなと思うけど、世の中にはそんな偶然じゃなく、狙って素晴らしい写真を撮ることができる人が存在している。私からすると宝くじの一等を狙って引けるようなもので、そんな才能の存在に、私は息が止まりそうになる。

私の思い出にあるその光景と、掲載されていたその写真の光景は同じ場所のもので、その写真によって私の中の思い出が更新されていくように感じることもあるし、私が思い出として残すことができなかった魅力がその場所にはあったんだなと思い返すこともある。写真からメッセージや意思を汲み取れることがあるけれど、それは私の中に元々あったものなのだろうなあと思う。私の中にあった事実なのかもしれないし、叶わなかった希望なのかもしれない。私は写真の一瞬を自分の中で自由に引き延ばして、その中で私が心に留めておくことができなかった何かを想像する。叶わなかった思い出ほど綺麗なものはないなと思いつつ、そんな綺麗な光景を私の中から引き出してくれた写真に感謝したい気持ちで一杯になるんだよ。