犬本番猫支度

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映画の趣味と性格

好きな映画を誰かに伝えるときに気にしてしまうのは、その映画の内容によって私の性格を推し量られてしまうんじゃないか? ということで、どの映画を好きだと伝えるのが無難なのかと考えてしまうことがよくあった。

映画は「○○が好きな人は性格が△△だ」とタイトルから性格分析されることが一番多いジャンルだと思う。大きなお世話だよ! 好きに言わせてくれ! と思うけど、お前は誰かに好きな映画を教えてもらったときに、その内容から人となりを全く想像しないのか? と問われると、ごめんなさいと謝るしかない。確かにちょっと想像はしてしまう。

「『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を好きな映画と言っていいのか問題」は私がずっと悩んでいるテーマで、理不尽や不幸な映画を好きと言ってしまったら、暗いだとか病んでるだとか思われてしまうんじゃないかと不安になってしまう。陽気で笑えて恋愛もあるハッピーエンドの映画が好きな方が、印象がいいに決まっている。複雑な構成の映画を好きだって言ったらきっと知的なイメージになるんだろうし、「こう思われたいならこの映画」なんて鉄則がきっとある。

でも自分をどう相手に表現したいかで好きな映画を選ぶって、それは映画に失礼だと思うし、その映画に対して自分が抱いているイメージを当てはめて相手を理解したつもりになるのは乱暴だ。もしかすると(△△な性格だと思って欲しいから、○○が好きって伝えましたよ)(○○が好きって言ったってことは、性格が△△なんだろうな)という暗黙のやりとりに使われている可能性もあるのかな。でもそんな風に「好きな映画を相手に伝えること」を単なるコミュニケーションの要素として割り切れるのなら、私はそもそも悩んではいない。当然だけど私は自分のイメージを伝えたいんじゃなくて、私の好きなものを伝えたいのだ。

ただそうは言っても「おしゃれそうな映画を好きだって言ってみたいな」なんて軽い気持ちで映画のディスクを借りたのが、私がより映画を好きになったきっかけの一つだったことは間違いないんだよな。よくわからないな退屈だけど我慢だなと思って観ていたら、途中から意味がわかり面白くなって大好きになった映画は結構あるし、そんな嬉しい映画との出会いを積み重ねていったことで今の私の映画の趣味がある。映画の趣味でおしゃれと思われたいなんて不純な意思が最初にあったから、私は映画で性格を分析されてしまうことを過剰に気にしてしまうんだろう。恥ずかしい。

大事なのは、映画の趣味を知ったことで、その人のことを理解したつもりにならないことなんだろう。映画の好みは所詮「好み」で、趣味の良し悪しや興味以上のものはそこにはない。もしあったとしても、私が理解できるものじゃない。一緒に映画を観て言葉を交していくと、お互い理解し合えることがあるかもしれないけど、それは映画がきっかけになっただけだ。

映画から影響を受けることがあったとしても映画が私の全てになることはない。映画は映画で、私は映画の登場人物ではなくて、世界がかけ離れているからその映画を好きになれたことを忘れてはならない。