犬本番猫支度

Simple and Clean

スキルをコミュニケーションで売る人達

一月や二月に一回会うくらいの店員さんとの距離感こそがありがたいなと思うことがある。ある程度お互いのことは知っているけれど、むやみに相手のことを詮索しないくらいの、薄くて固い一線が引かれている関係。距離が保たれていて関係が深まることがないからこそ、私は取り繕わずに話ができたり、本音が言えたりする。面白い話をしなきゃなんて気負う必要もないし、こちらから話をしたくないなら黙っていることだってできる。

毎日のように接する相手にはどうしても気を遣ってしまうし、見栄を張ってしまうのだった。インターネットへ書き込む文章を書いてるときもそう。このブログだって誰かに読まれることを想定して書いているから、感じたことをそのまま文章にできているわけじゃない。気を遣いながら後に残る文章を書くのは好きだけど、そんな形では吐き出せない、個人的な思いの詰まったちょっと身勝手だったり赤裸々だったりする話を誰かに言いたくなってしまうことはある。思い付いたそれぞれの言葉にあった表現のやり方があるってことなんだと思う。

私のことを理解してもらって、その上で言葉をもらいたいと思うなんて、おこがましいことだなと思うことはよくある。私のことに興味ない人からの無責任な言葉に救われることこそ、コミュニケーションの面白さだなと思うことがあれば、身勝手なことを言って身勝手に否定されて、その否定を参考にすることもなく、その気持ちごとどこかに捨ててしまいたいときもある。責任を持ちたい言葉と、軽く投げ捨ててしまいたい言葉があるんだろう。強弱があってこそ、そこに特徴が生まれてくる。

一対一でお客さんにスキルを売る仕事の人が大変だなと思うのは、私みたいな客からこんなコミュニケーションを求められるからだった。無遠慮な言葉を投げかけられて傷付くことはあるだろうし、お客さんからの言葉への反応によってはそのお客さんを失ってしまう可能性だってあるから、感じたことをそのまま伝えられるわけじゃない。立場が対等じゃないからこそ、知り合いとの会話よりもコミュニケーション力が求められてしまう。

スキルを売る仕事をしてるんだから、当然スキルで評価されたいと願っているはずで、コミュニケーションを求められ、それで評価もされてしまうのは心外だろうなと思う。正当にスキルを評価されるためにコミュニケーションに気を遣う必要があるのは、働いている人は誰もが感じていることだと思うけど、誰もが感じてるってことは、ほとんどの人が無意識に要求してるってことなんだよね。(誰もが要求してるからそれを正当化できるってことじゃないけど、スキルだけで評価してほしいと思いながら、私自身がスキル以外の部分を評価してしまっているのは、単なるわがままだなと思う。私はコミュニケーションが必要な世の中に生きていて、大なり小なりの気持ちをお互いに投げ合って生きていることは認めなきゃいけない)

一対一の閉じられた関係で、相手に信頼されたからこそぶつけられてしまう気持ちはあるし、フラストレーションは溜まるだろうな。髪を手入れしてもらいながら私はスタイリストさんの心中を想像して尊敬したけれど、この尊敬をそのままぶつけても迷惑だろうな、それこそ無遠慮だなと思ってやっぱりその気持ちは伝えなかった。こういう言葉はブログの方が適切かと思って書きました。