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犬本番猫支度

Simple and Clean

誠実な悪意

何かが美しいとか、楽しいとか、可愛いとか、好きだとか、愛してるとか、そんなことを感じていたはずなのに、最終的に全てが悪意に集約されてしまう気がした。

感情は続いてくれない。私は大事なものを何も手に入れられなかったし、手に入れたものも失ってしまったし、持っているものも色褪せてしまった。感情がなくなってしまった隙間には悪意が一番に入り込んでくる。悪意ってインスタントに生み出せて、人を動かすエンジンにもなるから、自分のバランスを保つため、隙間を埋めるために悪意を育ててしまうのは自然だと思う。だけど私は悪意なんて自分の本心じゃないと思っているから、そんな気持ちは捨ててしまいたくなって、代わりの何かを探してしまう。

古いものをそのまま愛し続けられる気持ちを尊く潔いと思う。私は憧れる。私が新しいものを好きになるのは、古いものをそのまま好きになり続けられなくて、その隙間を埋めたいからかもしれなかった。でも失ってしまった気持ちを新しい何かで補おうとしてしまう、そんな生き方では何も手に入れられないような気がしてしまった。

私はここにずっと留まって、新しい何かが生まれていくのをずっと眺めている。それだけだった。メディアを賑わせる新人に拍手を送る。その新人が私より年下であることに何も感じなくなって、私は自分が空気になっていることを自覚していく。インターネットにその新人に対する持論をぶちまけたりして、それが高慢な悪意であることに気付きもしないで。平凡な人生が生み出せるのは誰かの共感しかなくて、でも平凡な共感はすぐに忘れ去られてしまう。よく知らない人の共感を得る言葉じゃなくて、私は誰かに対してのメッセージを吐き出したかったはずだった。世界を変えたいわけじゃなくて、誰かに伝えたかっただけだった。

美しさや可愛さに勝てるものなんてないことはわかっていて、そのことだけを一対一で伝え続けられたらよかったんだ。他人の気を惹きたくって生み出す悪意には中身がなくて、ただ鋭さだけが誰かを傷付けようとして、そんなつもりはなかったんですと謝る価値すらなくて、ただ不快さだけが世の中に積もっていく。価値のない言葉は淘汰されていくだろう。悪意の価値が暴落したとき、悪意が悪意とすら認識されなくなったとき、それでも残った悪意こそ誠実で、そのどうしようもなさを愛おしくも思えたりするだろう。これから会うものへの愛情も、過ぎたものへの悪意も、同じ感情として抱いて死んでいくことができたらいい。