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犬本番猫支度

Simple and Clean

嘘と片思い

誰かが私についた嘘からこのブログは始まったんで、嘘についてブログを書いてしまったら、もう何も書く気にならなくなってしまってこのブログは終わってしまうかもしれない。でもそろそろ向き合って、嘘について書かなくちゃいけないと思うから、書くことにした。

世の中には嘘をついても平気な人がいるらしいけど、たいていの人は嘘をつくことに抵抗があるから、必要になったときにだけ嘘をつくようにしていると思う。一から十まで嘘をつくより本当のことの中に嘘を混ぜるほうが話を信じてもらいやすいから、どうしても嘘をつかなきゃいけないところだけに嘘をつく。それが嘘をつくときの常識だと思っていた。でも誰かが私についた嘘は違った。それは不必要に大きな嘘だったし、嘘がばれてしまうことを恐れていなかった。

私がその嘘に気付けたのは偶然だったんだけど、嘘だとわかったとき、私は心の中で叫んだ。こんな嘘、いつか絶対にばれるやん! その誰かとは知り合ってまだ短くて、お互いのことをあまり知らなかったんだけど、もしその誰かと私がもっと仲良くなったら絶対にばれる嘘だった。それに知られたくないことを嘘で隠すにしては、その嘘の内容は突拍子もなくて、その大胆さのせいでばれてしまう可能性だってあった。海岸に向かってアクセルを全開で踏んでいくような、何の計画性もない嘘だった。

でも私は偶然が訪れるそのときまで、その嘘をずっと信じていた。その嘘には姑息さや巧妙さがなくて「子供みたいな嘘だな」と後から思ったけど、大人になってもそんな子供みたいな嘘をつける人を、私は他に知らなかった。だから私は信じてしまったんだ。どんなに浅はかだな人だって嘘をつくときには慎重になるもんだし、普段から嘘をつく人の嘘は、あまり人を傷付けないようにあえて薄っぺらく仕立てられている。そんな計算された嘘しか理解できなかった私は、その誰かの嘘を「面白いな」と思ってしまった。自分が騙されていたのに、そのことを忘れるくらいその嘘に興味を持ってしまって、嘘をついたその誰かに興味を持ってしまって、だから私は嘘をついた誰かを怒る気になれなかった。

嘘は人間の内面が投影されるものなのかもしれないね。嘘なんかつかないほうがいいし、嘘に逃げないことが一番の度胸だと思うよ。嘘なんかつかないで欲しかった。それは間違いないんだけど、どうしても嘘をつく必要があるとき、ついてしまう嘘の内容には人となりが出る。嘘の大小が人間の器の大小だとは思わないし、どんな嘘が理想ってこともないけどね。でもその誰かがついた嘘は小心者の私には絶対につけない嘘だったから、私はその嘘に憧れてしまった。それはきっと誰かに対して私が密かに抱いていた憧れなんだろうな。

その誰かとは友達になれなくて、今では疎遠になってしまった。だからその誰かの言ったことがどこまで嘘だったのか、実はわかってないんだよね。憧れと謎を私の中に残して誰かは消えてしまった。その誰かにどうしても私の言葉を届けたくなってしまって、私はこんなブログを書き続けているよ。

嘘だけどね。