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犬本番猫支度

Simple and Clean

好きを表すこと

作品やアーティストのことを好きな気持ちを誰かと競う必要なんてない。私の中でそれを好きな気持ちを認めることができたらいい。それはわかってるんだけど。

子供のころ、好きだって気持ちを誰にも伝えたくない作品やアーティストがあった。それは好きなものを独占していたいって気持ちだったり、それが好きだって思える自分の感性が特別なんだって感じたい気持ちがあったからだと思う。

私の社会が広がり、私と同じものが好きな誰かが近くにいるって知ったときに私が感じたのは、大きな共感と小さな嫉妬の両方だった。私はその誰かに「私もそれ好きなんだ」って言いながら、「私のほうがそれ好きなんだ」って言いたい気持ちを隠した。同士がいたことにお互い盛り上がりながら私は、どれだけ私がそれを好きなのかを誰かに伝えたけど、私は無自覚に「絶対私の方がそれを好きな気持ちは大きいはずだ」って考えていた。

でも誰かと好きな気持ちを競っても、わかりやすい勝ち負けなんて出るわけがなかった。まだ人気の無いころから好きだった、初回限定版の商品を持っている、何回ライブ行った、そんな指標は比較しやすいけど、私の気持ちはそんなことで説明できるようなものなんだっけ? って思ってしまう。比較しようと試行錯誤すればするほど、自分が感じていた好きって気持ちとはかけ離れてしまうように思えた。

好きって気持ちは個人的なものであるはずなのに、それを共有して私の好きな気持ちを誰かにわかって欲しいと考えてしまうのは矛盾だなと思う。好きって感情には、愛情だったり共感だったり自己表現だったり、私の心が生み出した様々なものが含まれているんだけど、私はそれを全部「好き」にまとめてしまって、その好きって感情のかたまりを便利に使い回してしまっていた。だから気持ちと矛盾するような表現をしてしまうことがあったんだろう。

大人になって、好きって気持ちをコントロールできるようになった私は、その場に応じて都合良く好きな気持ちを使い分けるようになった。それは私の本心を簡単に誰かにさらけ出さないようになったってことでもあり、他人にはまずマニュアル的な対応を取るようになっていた。大人になってから友達ができなくなるって、こういうことからなんだろうなあと思う。子供のころの気持ちを取り戻したいなと思うことはあるけど、今更自分の感情に不器用にもなれないな。

好きって気持ちをもっと言葉にすべきなんだろうな。今は思う。誰かの気持ちと比較するためじゃなくて、誰かに伝えたいと思った、形にしなきゃと思った好きという気持ちを、もっと忠実に表現できたらなと私は思っている。そんな表現が生み出せたら、きっとそれは作品になって私はきっとアーティストになれるんだろうけど、そんな器じゃないことを自覚してる私は、ただひたすら文章を書き続けることにしたのでした。