犬本番猫支度

Simple and Clean

過去を繋げる音楽

久し振りに表舞台に立ったアーティストを見ると、以前に活躍していたころの思い出を語り出さずにはいられないのが人間なんだろうな。みな口々に当時の思い出を語っているし、私もそのアーティストを見て思い出すことはいろいろあるけれど、その思い出のそれぞれが違っていることが、なんだか面白いなと思った。

今の私たちはネットで簡単に情報をやりとりできるから、このアーティストが今流行ってるとか、名曲が出た! ライブで感動した! とか、簡単に感じたことを共有することができる。同じ時間を共有しているよう、同じ世界に生きているように思える。同じニュースを見て一喜一憂して、そんな声がまとまってムードが作られていく日々。そんなことに慣れていると、昔からずっと私はこのネットの向こうの人たちと同じ世界を生きてきたように思ってしまうけど、昔の思い出を語り合ってみると全然違う内容だったりしてしまうから、私はちょっと驚いてしまったのだった。

アーティストが活躍していたそのころ、アーティストが大人気だった世界も、そうでなかった世界も、どっちもあったんだろうな。どちらも正しい。お互いの世界がお互いのことを知らなくて、それぞれの世界でそれぞれのムードが作られていた時代があったんだ。私はそのアーティストが活躍していたころの情景を思い出してみるけど、私はただ生活の一部としてそのアーティストの音楽を聴いていて、人気があるかどうかはあまり気にしていなかったな。子供のころ、まだネットが普及してなかったころ、私はそうやって音楽を感じていたんだった。

神戸に住んでいた子供の私は、東京を遠い世界のことだと思っていて、東京で流行っているものを雑誌で覚えて、遅れて体験していた。音楽雑誌は本屋さんにたくさん並んでいたけど、どの雑誌に私の好きなアーティストの記事が載ってるかなんてわからなかったし、雑誌に載ってるどの新しいアーティストが自分の好みなのかもわからなかった。雑誌にあった作品名をメモしてレンタルショップを訪れて、偶然その店に置かれていたCDだけを体験した。雑誌を読んで友達が買ったCDがすごく良くて、私もそのアーティストを好きになったりした。そんな風にして断片的に体験できたその東京は、きっと私だけの「東京」だったんだろうな。

過去に活躍していたアーティストのことを誰かが語るとき、私と違う過去がその誰かの中にあることがわかる。誰かも私もお互い他人で、当時別々の場所で生きていて、同じ時間の中で別の生活をしていたことがわかる。でもそれぞれの生活の中で同じアーティストを聴いていたって事実が、そのお互いの生活の接点になって、私はその誰かの過去を何よりも身近に感じることができる。ある音楽が生活に密着していたころがあって、音楽への思い出で私たちを繋げられる時代があったんだ。これこそが音楽の力だなと思う。多くの人が同じ作品を体験しているって現象は音楽に限らないことなのかもしれないけど、好きとか嫌いとか興味ないとかどう受け止めるか関係なく、ただ生活にその作品が存在することは、音楽だけができることだ。それこそが魔法的だなって、思うよ。