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犬本番猫支度

Simple and Clean

いいねはいらないね

面白いことを言うことと、面白い話をすることは違うんだなと気付いたのは、「人志松本のすべらない話」が世間で話題になったときだった。周りの人が「すべらない話」をしてみるんだけど、すべるとかすべらないとか以前の、普通の話にしか聞こえなかった。私もすべらない話を用意してみようと思ったことがあるけど、面白い話の骨組みを作ることすらできなかった。テレビでやってたすべらない話を誰かに話してみたけど、その話が全く面白くなくって相手も全然笑ってくれなくて驚いたことってないですか? 同じことをやろうとしてみて始めて、テレビの向こうの芸人さんの話がよく練られたものだったことに気付いて、それがまさしく芸人の「芸」だったことに私は驚いたのだった。

面白い話にビギナーズラックはない。でも面白いことは素人の私でも言えることがある。それってつまり面白いことって、別にその人が面白い人間じゃなくても言えるってことなんだよね。その人に面白さの技術がなくても、悪意や嘘や雰囲気の瞬発力で面白さを作ることができるからだと思う。

誰かと話をするときに、何か面白いことを言おうと思ってしまうのは関西人の性らしい。関西で生まれ育った私は関西以外の地域のことは分からないけど、どの地域の人でも同じような気持ちは持っているんじゃないかなあと思う。相手と楽しい時間を過ごすために、面白いことだったり気の利いたことを言いたくなってしまうのは、地域関係なくあるんじゃないかな。インターネット大喜利を眺めてる限りでは、面白いことを言いたい人が関西に集中してるとは思えないし。

楽しいことを誰かに言いたい気持ちは私も持ってる。でも楽しいことを言いたい気持ちだけが前に突っ走ってしまって、自分が乗っ取られてしまうようになるのが怖いなと同時に思う。楽しいことを言いたいと思い続けていて、ふと気付くと自分の言葉を曲げて、嘘や悪口を口にしてしまっていることがある。後から「言ってること自体は間違ってないんだ」「愛があるから厳しいことも言えるんだ」みたいな言い訳で誤魔化したりするんだけど、でも自分の気持ちを裏切って適当に言葉を使ってしまったことは変わらなくて、私の心に影を落とし続けてしまう。

私はこのブログの言葉が多くの人に読まれたらいいなとは思っているけど、嘘をついてまで多くの人に言葉を届けようとは思ってない。私は誰かに読まれることを想像して文章を書いてるけど、誰かに楽しんでもらったりするために、自分の言いたいことまで捨ててしまいたくはないのだった。

このブログの私が常に自分に正直でいられているとは思わないし、筋の通ったことを書いている自信もないんだけどね。ブログに合わせて文章の表現を変えているし、ブログに書くべきことじゃないなと思ったことはボツにしてる。でも自分の言葉くらいは大事にしたいと思うし、そのためなら読む人を不快にしても仕方ないなと思って書いてます。(そんなわけで先週は嘘ついてるブログを二つボツにしました)