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犬本番猫支度

Simple and Clean

好きも嫌いもそれはバランス

好きなものを誰かにけなされて怒ってしまうのは、その好きなものに自分を重ね合わせているからだった。自分の分身のように、自分の守るべき大切なもののように、好きなもののことを感じていた。自分の好きなものがみんなに好かれることなんてない、嫌いな人だってどこかにいるだろうってわかってるのに、自分の好きなものを誰かが嫌うことに過剰反応してしまうのは、個人的な部分に足を踏み入れられたからと思ってしまうからだろう。

じゃあ自分が好きなものをみんなが褒めてくれたらそれでハッピーなのか、って言われるとそうでもないんだよね。映画のキャッチコピーが的外れだって怒ったり、店頭の商品ポップの文句が薄っぺらいって怒ったりする。どっちも作品を褒めようと思って頭を捻った結果なんだろうだけど、それでも「何もわかってない!」って怒ってしまう。同意できない好きに対しては、嫌い以上に腹が立ったりするよね。

私が好きなものを周りのみんなも好きでいてくれる、そのみんなの好きな気持ちも共感できる。こうなったら楽しいのかもしれない。でもそうなったらきっと私は自分の好きな気持ちを疑ってしまうだろうな。周りに気をつかって自分も好きって感じてしまってるんじゃないかって気がしてしまう。好きになるしか選択肢がなくなると、好きか嫌いか考えることすらしなくなる。そうして自分の感覚が麻痺してしまった私は、その好きなものから少しずつ興味を失ってしまうだろう。

これはバランスなんだ。嫌いがあるから好きがある。もし好きな意見だけに囲まれてたとしてもきっとその中から違いを見付けてしまうだろうし、嫌いになれる自由があるからこそ好きであり続けることに意味が生まれてくる。

落ち着いて考えてみると、誰かが好きだとか嫌いだとかって、私が意見できることではないんだった。私が何を好きになってもいいし、嫌いになってもいい代わりに、誰もが何を好きになってもいいし、嫌いになってもいいのだった。それがルールだよ。それに私が本当に興味を持てるのは、誰かが好きになったり嫌いになったりした理由のほうだった。誰かが嫌いになった理由は、私が好きになった理由をひっくり返してしまうかもしれなくて、それはとても怖いことだけど、共感できる言葉だけに囲まれて何も考えないことの方がつまらないと思えた。好きだからこそもっと知りたい、そう思える探究心こそが正しいと思えた。

肯定とか否定とか星の数とか、そんな単純な表現以外で作品を評価できる言葉をうらやましく思うよ。その作品を好きだと言ってしまうと、好きなんだから何を書いてもいいでしょ、って甘えた気持ちになって、その気持ちを正しく言葉に残せなくなってしまうことがある。自分の中にある価値観を言葉にするとき、好きや嫌いは要素の一つに過ぎないんだ。