犬本番猫支度

Simple and Clean

CDと私の関係について

CDを聴きながら歌詞カードを読んでいる私がいた。ケース裏面の曲目を眺めていると次の曲が待ちきれなくなってしまって先の曲の歌詞だけ読んでしまったり、細かい字のクレジットを隅々まで読んだりしていた。驚いたよ。こんな気持ちになったのは何年ぶりだろう。

数年前の私は月に十枚くらいCDを買っていた。音楽を聴くのはパソコンやiPhoneからだったから、買ってきたCDはまずパソコンに取り込んでたんだけど、ケースを開くのはパソコンに取り込もうとしてCDを取り出すときだけで、そのCDが回転するのはこのパソコンの中で一度きりだった。買ってきた数枚のCDをパソコンのディスクトレイに差し替えて、パソコンで取り込みボタンをクリックする作業が面倒だった。そもそも私は面倒くさがりなのだ。眠たいときはパソコンへの取り込みを後回しにしてしまうことがあったし、そのまま一ヶ月ほどパソコンの横に未開封のCDが置きっぱなしになってしまってることもあった。ひどいね。パソコンに取り込んだ後のCDはラックに無造作に突っ込まれ、CDの背表紙だけが少しずつ日に焼けていくことも気にならなかった。CDというモノへの興味はかなり薄れていたんだけど、CDを買うことが音楽ファンの務めなんだ! って強く信じながら私はCDを買い続けていた。

そして一年半前に定額制の音楽配信サービスに加入したんだけど、これが私にとっての大きな転機だった。毎週水曜日になったら新曲をダウンロードして聴ける。これって本当に便利だよね。新曲は全曲フルで試聴できるし、試聴する感覚でダウンロードしたっていい。たくさんの新曲リストが目の前にあって「これ全部追加料金なしで聴いていいよ」ってことなんだから、もう新しい音楽を聴きたい欲望に忠実になってしまうよね。そんな感じで毎週配信される新曲に夢中になっているうち、気が付くと私はCDをほぼ買わなくなっていたのだった。CDショップに足を運ぶ回数が激減したし、CDショップで試聴して新しい音楽に出会うことはもうなくなってしまった。

こんなにCD買わなくなるか私! って思ったけど、CDを買わない自分を一度許せてしまったら、もうCDを買う生活には戻ることができなかった。何に遠慮してCDで買うことにこだわっていたんだろう、とすら今は思ってしまうよ。CD購入中心の音楽生活を止めてしまったら、音楽配信サービスで配信されていない新曲をデータで買うことにも抵抗がなくなって、ますますCDを買う機会は減っていった。

それでも、CDを買う機会はなくならなかった。大ファンのアーティストのアルバムに映像付きの初回限定盤があったらそれを買いたいなって思ったし、CDでしか発売されない新曲だってあった。私はCDショップに足を運ぶのは、そんな時だけだった。

CDショップで一枚だけアルバムを買って、家に帰った。他にも色々買い物をしていたけど、私はまずアルバムのパッケージを破って、電源を入れたパソコンのディスクトレイにCDを差し込んだ。DVD付きのアルバムだったからBlu-rayプレイヤーの電源を入れて、DVDはそっちのディスクトレイへ。DVDには何が収録されているんだったっけ、と歌詞カードをケースから取り出す――

数年前の私はCDを買うことに飽きていたんだろうな、と思った。久々にCDを手にした私には、CDを買ったとき特有の胸躍る気持ちが戻ってきていた。「CDを買う」ってことを大事にしようと思ってCDを買い続けていた頃よりも他の選択肢を自分に許した後のほうが、CDを愛おしく思うことができているけど、それを私は不思議だとは思わなかった。自分の愛情を超えた量があったら、それぞれへの愛情が薄れてしまうのは当然だ。愛情より作業感が強くなってしまったら、それが飽きたってことなんだろう。

好きなことに義務を課してしまうのが、間違いの始まりなんだろうな。このアーティストのライブは絶対行くとか、この作者の本は絶対買うとか、目標のような「義務」を定めてしまうと、それが達成できなかったときに好きな気持ちへ傷が付いてしまうし、無理して達成しているうちに苦痛になってしまうことだってある。あと「積読」みたいに、買ったものを楽しまないのも止めたほうがいいよね。買うことと、買ったものを楽しむことが気持ちとして結びつかなくなってしまうと、楽しむために買ってるってことを忘れてしまって、義務で買うようになってしまうから。趣味へのお金も使いかたが大事だな、ただお金をかけたらいいってもんじゃないんだな、って強く思う。