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犬本番猫支度

Simple and Clean

物語にある教訓と快楽

私は物語に教訓を求めていると思っていたけど、実はそうじゃないのかもしれないなと最近は思うようになった。

自分の身の回りにチャンスの予兆があるとき、私は無意識に物語が恋しくなった。私はたくさんの物語を受け止めて、そこから得た教訓を生かすことでそのチャンスを確実に得たいと思っていた。物語には作者が込めたメッセージが必ずあり、私はそのメッセージを教訓にすることができると思っていた。物語を参考にすることで、自分の人生をより良くできると思った。

でも教訓を得ることができない物語は世の中にたくさんあるんだよね。物語のメッセージが、教訓じゃなくて単なる快楽だって場合があることにやっと気付いた。ハッピーエンドの物語だけじゃなく、バッドエンドの物語にも、単なる快楽しか得られないものがあるんだ。ただ感情だけを揺さぶる物語は、快楽であり、どれだけ感動したとしてもそこには教訓はないはずだった。私はそんな物語からもなんとか教訓を見出そうとしていたけど、いくら深読みしても「自分が信じたい教訓」を偶然のように見付ける結果にしかならなかった。その教訓は物語に込められたメッセージじゃないんだろうし、それじゃ意味がない。

「物語の正しさ」は、物語を受け止める人の尺度によって変わってくるんだろうなあと思う。現実に生かせる教訓を得たい人は教訓めいた物語を求めるだろうし、現実を忘れたくて物語に飛び込んだ人は物語に快楽を求めるだろう。現実でも快楽を得たいから物語の快楽を参考にする、って場合もあるだろうから「正しさの尺度」って単純に二分割できるようなもんじゃないんだろうなと思うけど、とにかく正しさは人によって異なるんだろうなと思う。

物語の良し悪しはどのようにして評価されるべきなんだろうなあって、最近は考えてる。人によって異なってしまう「物語の正しさ」は評価軸しては適切じゃないんだろうなあと思うけど、それならどうやって物語は評価されるべきなんだろうか。物語の適切さだろうか。美しさだろうか。

そんなことを最近は考えていました。